蒼雪庵

いまだに推敲中

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・196

ハーゴン
 広大な青白い結界に守られた薄暗い聖堂に、低い祝詞が響いていた。
 巨大な邪神の像の足元には、なみなみと生き血を湛えた溝があった。邪神官ハーゴンはその前にひざまずき、一心に祈っていた。
「……誰だ。我が祈りを邪魔する者は」
 ロラン達が背後へ近づくと、ハーゴンは静かに立ち上がり、振り返った。
「お前を止めに来た。――邪神官ハーゴン
 ロランは言った。声は乾いていた。だが、ハーゴンを見つめる瞳は硬質の光を放っていた。
「我を邪(よこしま)と呼ぶか……」
 ハーゴンは杖を持たない手で顔を覆い、低く笑った。
 ひそひそと胸に忍び込む低い声は、魅惑的だった。孤高でありながらどこか寂しげでもある。この声で世を嘆き、救いをもたらそうと呼びかければ、多くの者が賛同するだろう。彼の力になりたいと願って、身を擲(なげう)つだろう。
「何も知らぬ愚か者。いくばくかの天の助けも得てここへ来たようだが、それも終わりだ。お前達の成そうとすることは、緩慢な世界の滅びを助けるに過ぎないのだぞ」
「邪神にすがってまで世界を変えようとすることが、本当に救いとは思えない」
 怒りを込めてロランは言った。くくく、とハーゴンは笑った。
「まだお前達は天の神や大地の精霊とやらを信じているのか? 利用されているにすぎぬというのに」
「……僕達が信じるのは、誰もが生きたいと願う、その心だけだ」
 ハーゴンは顔を覆っていた手を下ろした。口元に鋭い犬歯がのぞく。
「人間は愚かだ。魔物の体に成り果てたが、私も何ひとつ変わってはおらぬ。救いを求める手段に暴力しか持たぬ、その浅ましさもな。だが、救世のために私は身を捧げよう。――来るがよい!」
 ハーゴンは巨大な宝珠を戴いた杖を振りかざした。ロラン達の目の前が光る。イオナズンだ。痛みも熱も、何度食らっても慣れない。骨を焼かれる苦痛を食いしばり、ロランはハーゴンへ斬りかかる。背後で、ランドとルナが回復呪文を唱和する。
「やああっ!」
 ロランの一閃を、ハーゴンは杖でたやすく受けとめた。強い、とロランは直感した。間髪入れず、ハーゴンの回し蹴りがロランの腹部を捉える。どっと背骨へ抜ける衝撃を受け、ロランは吹き飛ばされていた。
スクルト!」
 ランドが守備力を上げる。ルナがハーゴンルカナンを唱えた。ハーゴンは立て続けにイオナズンを唱えた。すさまじい爆裂に身を守るすべもなく、3人は激痛に耐える。
「べ、ベホマ……!」
 床に倒れこみ、朦朧としながらルナがぐったりしたランドに呪文をかけた。意識を取り戻したランドは、ロランを見てまだ余裕があると判断し、ルナに優先してベホイミをかける。
 ロランはハーゴンに斬りかかったが、火傷の痛みが動きを鈍らせた。ハーゴンは一撃を杖で打ち払う。
 ルナがロランにベホマを唱える。痛みが一瞬で引き、ロランの腕に力が戻った。足を踏みかえ、斬りつける。が、ハーゴンの鋭い蹴りが刃を打ち払った。体勢を崩されたが、一瞬で身を引いて避け、ロランは間合いを取る。にっ、とハーゴンが笑った。
「素晴らしい。お前は優れた人間だな。我が新しき世に生きるにふさわしい」
「僕が優れているって――?」
 ロランが眉をひそめると、ハーゴンは両腕を広げた。
「しかり。かつて、この世界にはお前達のような人間がひしめいていた。強き技と魔力を持ち、高い文明を築いていた。世界には生きる力が充ち満ちていたのだ。だが、今の世はどうだ。何の力も持たぬ輩がのさばり、過去の遺物にしがみついて生きている。新しきものを生み出す力は失われ、やがて人間は魔法という素晴らしい力があったことも忘れるだろう。そして野の獣となり、互いを高め合うこともなく、日々の糧のみに頭脳を費やすであろう。それは滅びだ! 人間という高等な種の滅びなのだ!」
「高等――何を基準にしてそう言えるの?」
 ルナが怒りを瞳に溜めて言った。
「あなたの言うことは、力を持たない人間に生きる権利はないと聞こえるわ」
「その通りだ」
 ハーゴンは残忍な笑みを浮かべた。
「優れた者が優れた子孫を残すに足る。だからこそ、お前達が生まれたのではないかね?」
「そうかなあ」
 ランドが首をかしげる
「キメラがメイジキメラを生むってことわざもあるけどな」
「劣った者は劣った者しか生まぬ」
 ハーゴンは冷然と答えた。
「ロトの子孫よ。お前達がここまで到達できたのは、その血によるものだ。勇者ロトという特別な血がなければ、神々はお前達を助けはしなかった。わかるか? “特別”でなければ、人間は見捨てられてしかるべき存在なのだ!」
「――違うっ!!」
 ロランは叫んでいた。猛然と斬りかかる。振り下ろした稲妻の剣を、ハーゴンは杖で受けとめた。火花が散る。
「なぜ違う? ローレシアの王子よ」
 ぎりぎりと剣を押し返しながら、ハーゴンは言った。
「ならばなぜ、天は他の人間にロトの装備を使わせない? 誰もに資格があるのなら、なぜお前達だけに戦わせる?」
「僕達は人々の願いの結晶だと言われた」
 渾身の力で押し返し、ロランはハーゴンをにらんだ。

「資格というのなら、それは僕達の血筋が背負う運命だ。でも僕は、“僕達だけが”それを担っているとは思っていない」
 ハーゴンは嘲笑した。
「お前は自分が、愚昧な人間と同じだというのか?」
「――そうだ」
 ロランは再び斬りかかった。ハーゴンがまた杖で受けとめ、激しい打ち合いが続く。その最中でロランは言った。
「僕は魔力を持って生まれなかった。お前が言う、できそこないだ」
「しかし、素晴らしい力を持っている。戦う力もある」
「それは結果だ! 使命もなく、城にいるだけなら、僕もただの人間だったんだ」
 ロランの瞳が悲しみに揺らいだ。
「――殺されたすべての人は、僕だ! 魔法も使えず、戦う力もなく、暴力に抗うこともできず、理不尽な狂気に犠牲になっていた――僕自身なんだ!」
 青白い剣閃が斜めにほとばしった。ハーゴンは苦鳴を上げ身を反らす。返す手で詰め寄り、ロランはハーゴンの懐深く斬り込んでいた。
「ぐはあっ……!!」
 ロランの剣は、ハーゴンの背を突き抜けていた。邪教の紋章を染め抜いたローブに、じわじわと赤黒い染みが広がる。ロランはゆっくりと剣を引き抜いた。数歩後退する。
「ぐっ……」
 ハーゴンはよろめき、杖で体を支えた。傷を抑え、手のひらに付いた血を見る。顔を上げ、にやりと笑った。すさまじい笑みだった。
「愚かな……。他人と自らを等しく思うとは。無能な人間と肩を並べ、世の発展と進化を放棄するのか」
「命は、」
 ロランの声がわずかに震えた。
「才能で価値が決まるものじゃない。誰だって生きていいんだ。それでこの世が滅ぶというのなら、僕は流れに身をゆだねる。お前一人が決めていいことじゃない」
 ハーゴンの青ざめた顔には、冷笑が浮かんだだけだった。
「たとえこの私を倒しても、世界は救えまい! そんなこともわからず……お前達はここまで来たのだ……」
「何を言っているの……?」
 ルナがいかずちの杖を胸元に抱き、柳眉を寄せた。ハーゴンは天をあおぎ、両腕を広げて声高に叫んだ。
「破壊の神シドーよ! 今ここに、最後の生け贄を捧ぐ!!」
 ハーゴンの口からどっと血があふれた。目から光が消え、あお向けに倒れる。手から離れた杖が、床に弾んで高い音を立てた。
「……どういうことだろう。最後の生け贄って……ぼく達のこと?」
 ランドが不安そうに言ったその時、邪神の像が真っ赤な光を放った。広間が大きく揺らぎ、3人は倒れまいと踏みとどまる。しかし振動は神殿全体から発生していた。
 ――否、ロンダルキア全体から。


 同時刻、世界の人々は空がみるみる陰っていくのを見た。ロンダルキアのふもとは激震に襲われ、ぺルポイの住人達は恐怖に叫びながら我先に地下都市を飛び出した。ザハンからの漂流者ルークは、押し寄せる人々に流されながら地下道を出た。
「頭が……」
 前頭部が鋭く痛み、ルークは額を抑える。漂流してからずっと記憶を失っていたが、何かを思い出しそうな気がした。阿鼻叫喚の中、ふと前を見上げる。
 白い台地全体が揺らいでいるのを見、ルークは戦慄した。

 

「陛下、空が!」
 老臣マルモアと近衛隊長シルクスが、謁見の間に駆け込んだ。大臣達の話を聞いていたローレシア王は、取りも直さず二人についてバルコニーへ走った。
「これは……!」
 南の方角から広がる闇に、王は愕然とした。城下でも人々が不安げに空を見上げている。
「あれはロンダルキアの方角ではないか?」
「左様でございます。おそらく今、ロラン王子達は邪神官と戦っておられるのでしょう」
 硬い面持ちでシルクスが言う。王はきつく手すりをつかんだ。
「ロラン……!」
「おお、神よ!」
 マルモアは涙をためて両手を組み、空を仰いだ。
「どうかロラン様をお守りくだされ! ランド王子とルナ姫に武運を!」
(ロラン……頑張れ!! ルナ、ランド、死ぬではないぞ!!)
 南を見つめ、王は胸の内で叫んでいた。


 振動は激しさを増した。
 次々にかがり火や柱が倒れていく。壁や床に大きな亀裂が走る。ロランはランドに叫んだ。
リレミトを! 崩れるっ!!」
「り、り」
 振動のために舌を噛みそうになりながら、ランドは右手を掲げた。
リレミト!」
 だが、3人の体は移動しなかった。
「かき消された……閉じこめられたんだわ!」
 ルナが悲痛な声を上げた時、紫色の稲妻がいくつも聖堂を駆け巡った。光と闇が明滅し、雷鳴が鼓膜を聾した。
「――っ!」
 激震が走った。立っていられず3人が膝を突いた時、邪神の像の背後から、巨大な腕が壁を砕いて突き出た。三本しかない指が、赤々と光る邪神の像を握りしめる。像は砕け散り、破片が波打つ血の溝に次々と落ちてゆく。
 ロラン達は見た。崩壊する壁の向こうから、巨大な顔と腕がのぞくのを。