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蒼雪庵

いまだに推敲中

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・98

【タシスンと金の鍵】

 波は穏やかで、日差しは暖かかった。風向きも順調で、船倉は捕った魚で満杯だ。まさに順風満帆の航海だった。
 取引先のペルポイ港へ北上しながら、タシスンを乗せたザハンの漁船は、仲間の陽気な声で満ちていた。甲板では、当番ではない者が早くも酒をあおり、カード遊びに興じているが、誰も文句を言わない。
 南海の孤島ザハンでは、金銭を得る手段を男達の遠洋漁業に頼っている。何か月も世界中の漁場を渡って魚を捕り、各地の港に寄港して捕った魚を売るのである。
 ペルポイ港で魚を売りさばいたら、久しぶりに我が家へ帰れるのだ。男達が浮かれるのも無理はなかった。
(島に帰ったら、今度こそ女房に話してみよう)
 タシスンは船尾から南の方角を見つめ、帰りを待つ妻を思っていた。お互い今年30歳になる。子どもはない。
 代わりに犬を飼って寂しさをまぎらわせているが、やはり、自分の子を抱いてみたかった。仲間が冗談交じりに「うちの悪ガキが……」と語る姿に、どんなに羨望を覚えたことだろう。
 なかなか子が授からないのは、お互いに一緒にいる時間が少ないからだと思う。だからタシスンは、この漁が終わったら、漁師をやめるつもりでいた。
 漁師以外に仕事を知らないが、ペルポイの町に行けば、何か仕事が見つかるかもしれない。あそこは港と町を切り離して、地下にもぐっている都市と聞く。地下都市なら、ハーゴンの魔物に襲われることなく、安全に妻と暮らせるに違いない。
 あのロトの勇者の子孫が治めていたムーンブルクの国でさえ、一夜で滅ぼされてしまった。この世界に安全な所を求めるなら、ぺルポイしかないだろう。
(犬は大丈夫だろうか。地下だと、動物を飼うのは難しそうだな……)
 飼い犬のラジェットを思い起こし、タシスンの胸が痛んだ。ラジェットは賢くて優しい犬だ。一緒に暮らしてきて、どんなに慰められたことか。
 だからこそ、タシスンは漁に出る前、誰にも見つからないようラジェットに託したのだ。ペルポイの町に入るために必要な品――金の鍵を。
「あ、タシスンさん。そこにいたんですか」
「ルークか」
 物腰柔らかな声音に、タシスンは振り向いた。二十歳そこそこの黒髪の青年が穏やかに微笑んでいる。
 ルークは漁師に向かないと常々仲間から言われている。むしろ勉強の方が得意で、ザハンのような僻地に埋もれさせるには惜しいと、島唯一の塾の講師が嘆いていた。
 しかし他国に留学するあてもなく、こうして船の乗組員として働いている。力仕事は苦手なので、知識を生かして水先案内人を務めていた。
「もうすぐ、昼飯だそうです。食堂に行きませんか」
「ああ、わかった」
 返事が上の空になっていないか心配だったが、ルークは気づいていないようだ。タシスンはほっとした。
 金の鍵を思う時、いつもうしろめたさがまとわりつく。半年ほど前、ルプガナ近海で座礁した富豪の船から、その主らしい男を助けた時、偶然にも転がり込んできたのだ。
 船が難破して漂流し、富豪の男は疲労と空腹で気も狂わんばかりだった。タシスンが男を船に引き上げた際に、痩せてしまった首から紐につないだ鍵が落ちたのである。
 タシスンはとっさにそれを拾い、手の中に握りこんだ。仲間は富豪や生き残った乗組員の介抱に集中していて気づかなかった。
 それを金の鍵だと知ったのは、ようやく人心地がついた富豪が、鍵がない、それがないとペルポイに行けないと騒ぎ出してからである。
 すぐに返そうかと思ったが、妻と別離の長い生活に見切りをつけたかったタシスンは、鍵を懐深くしまいこんだ。そして2か月前にザハンへ帰った時、誰にも見つからぬよう、ある場所へ隠したのである。ラジェットだけが、それを見届けていた。
 ルークとともに船室へ向かおうとすると、水先案内の当番がふいに叫んだ。
「雲だ! なんであんなところに……!」
「雲?」
 ルークが走って舳先へ行く。タシスンも続いた。見れば、水平線から黒いもやの塊が、こちらへ向かってぐんぐん近づいてくる。
「なんだ、あそこだけ黒い塊が……なんて速さだ!」
「雲じゃない!」
 ルークが叫んだ。
「魔物の群れだ! 船長に伝えてくれ、反転して離脱を!」
 ルークが振り返って叫んだ。のんびりとくつろいでいた船員達が、途端に色めき立つ。
「離脱しろっても、船足は遅いぞ! せっかく捕った魚を捨てろってのか!」
 仲間の一人が叫んだ。積み荷を捨てれば、収入が減るだけでなく赤字も出てしまう。ペルポイ港は、高額で魚を買ってくれる大事な取引先なのだ。
「命の方が大事だろう!」
 普段穏やかなルークが必死なのは、彼もまたザハンに恋人がいるからだ。他国へ留学しないのも、彼女の存在が大きかった。
「反転たって、そうしたらザハンと反対方向だぞ!」
 船員達はまだ迷っていた。ここに来て、漂流するか、魔物と一戦交えてでも最短距離を選ぶか。
「とにかく船長に――」
 連絡を、と言おうとしたタシスンの前に、剣を振りかざした鳥人ホークマンが襲いかかってきた。
「危ないっ!」
 ルークがタシスンを突き飛ばし、ホークマンの剣が空振りした。甲板では早くも、飛行してきた魔物の群れが船員達を襲っていた。
 ホークマンの上位種である、灰色の鳥人ガーゴイル、巨大な翼を持った翼竜バピラスが、次々と剣や鋭いくちばしの餌食にしていた。
 血祭りに誘われたのか、海の底に潜んでいたしびれクラゲやウミウシまで浮上し、船に這い上がってくる。
「くそっ、ペルポイは目の前なのに……!」
 魔物から逃げまどいながら、タシスンは泣き出しそうになった。激しく揺れる船の先に、うっすらとペルポイのある大陸の影が見えていた。
 魔物達は好き放題に蹂躙していた。帆が次々と切り裂かれ、マストの先端が折られた。飛び交う仲間の悲鳴、そして血。どこからか火の手が上がっていた。炎が甲板に垂れ下がった帆に燃え移る。
 船長が胴間声を上げ、生き残った者に避難するよう呼びかけていた。ルークとタシスンも、避難用の小舟に走った。だがバピラスの一頭がそれを見逃さなかった。甲高い奇声を発して、巨大な足でルークにつかみかかる。
「ルーク!」
「タシスンさん!」
 炎上する甲板の上、今度はタシスンがルークを小舟に突き飛ばす番だった。自分も真っ先に乗りたいはずなのに、体は勝手にそうしていた。
 ルークは小舟に落ちた。タシスンの右肩に、バピラスの爪が食いこむ。右腕を持って行かれそうな苦痛に絶望し、それでいて安堵していた。波間に揺れる小舟の上で、ルークが叫んでいた。
(ああ、シエナ……ラジェット)
 激痛に遠のく意識の中、タシスンは妻と愛犬の顔を思い浮かべた。だから見ずに済んだ。ルークの乗った小舟もまた、ガーゴイルの放ったバギの呪文に当たり、粉々に砕けてしまったのを。