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蒼雪庵

いまだに推敲中

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・25

「勝負!」
 キースは悪魔神官へ向かって斬りかかった。悪魔神官は、両手の棍棒を軽々と構え、交差させて剣を受けとめる。ぎりぎりと押し返しながら、キースは背後のルナへ向かって叫んだ。
「姫様、今のうちに! お逃げください、早く!!」
 ルナはひどくふるえながら、かぶりを振るだけだった。さっきまでは逃げることしか考えていなかった。父の死に恐怖し、城内の人間が殺される悲鳴に耐えきれず。
 限界まで張りつめた恐怖と絶望が、ルナの思考を完全に止めていた。ただ呆然と、キースと悪魔神官の戦いを見つめることしかできなかった。
 キースは一度離れ、呪文を唱えた。
「バギ!」
 剣を持たない左手をかざすと、悪魔神官の周囲で風が巻き起こる。だがそれは、真空状態が作り出す空気の刃だ。相手を切り刻む魔法は、しかし、悪魔神官のローブに傷一つ付けなかった。
「――無効化だと?!」
 キースの冷静だった瞳に動揺が走る。悪魔神官は仮面の奥で笑った。
「我が神の守護よ。その程度の魔法、我には効かん」
「くっ!」
 キースは果敢に斬りかかった。それが初めての実戦とは思えない、迷いのない剣筋だった。しかし、必殺の気合いとともに振り下ろされた剣は、相手の棍棒の一本で薙ぎ払われ、宙を舞った。そしてがら空きになった腹部に、もう一本が無慈悲に突き出される。声なき悲鳴をあげ、キースは猛烈な勢いで壁にたたきつけられていた。ルナを我に返したのは、その音だった。
「キース!!」
 キースはうつぶせに倒れたまま、動かない。石畳の床に、じわじわと血が広がっていた。ルナの足も、石になったように動かない。
「さて……王女殿下には、いかなる処遇がふさわしいでしょうかな」
 いたって饒舌になり、悪魔神官はゆっくりとルナに近づいてきた。ルナは壁際で、じりじりと横へ動く。手探りで隠し階段の仕掛けを探っていたのだ。
「この期に及んでも、まだ逃げたいと? それが誇り高きロト王家の姫君ですかな」
 ルナは答えなかった。大切な人々を奪われ、いっそここで死にたい気持ちが強いはずなのに、体は生き延びることだけを考えている。死んでいった者達への哀悼は浮かばず、ただこの場から逃れたい一心が支配していた。
「……負け犬」
 ふと悪魔神官が口にし、彼はその思いつきに自己満足して笑った。
「そうだ、あなたは負け犬だ。王女よ、どうせ死ぬならみじめな姿で生涯を終えるとよいでしょう」
 いかなる技か、悪魔神官は棍棒を空に消すと、何事か唱えながら、両手でルナの前に不可思議な印を描いた。手の動きは暗く輝く赤い軌跡となり、不気味な紋様の帯を出現させる。赤黒い光の帯は蛇のような動きで、しなやかなルナの体にまとわりついた。
 遠のく意識の中、ルナはがくりと頭を垂れ、膝を突いた。これは我が身への罰だと思った。何もできなかった、自分には――。


 悪魔神官は卑劣さのたっぷりこもった哄笑を上げた。キースは朦朧(もうろう)とする意識の中で、わずかに顔を上げた。
 ルナの姿はなく、代わりに、垂れ耳の小さな白い犬が気を失って倒れていた。やがてその体も闇に包まれ、ふっとかき消える。
 あれは呪いだ。動物に姿を変えられた人間が元に戻るには、ただ一つの方法しかない。大昔に伝わる伝承が、本当ならの話だが。
(それを誰かに伝えるまでは……私は死ねない……)
 だが、意識は急速に遠のいていく。体から離れそうになる浮遊感に負け、キースの目の前は暗闇に覆われた。

 

 ルナは浅い眠りから目を覚ました。消えない空腹に、もはや生きる気も失せかけている。
(私は逃げた。何もかも捨てて、逃げようとした)
 犬の目は泣けない。涙を出す代わりに、うなった。
(卑怯者。何が、ロトの子孫よ……。何が、神様よ。大地の精霊ルビス様は、私達ロトの子孫を守ってくださるんじゃないの? どうして助けてくれなかったの?)
 自分や神への怒りと恨みは、長く続かない。犬としての単純な思考が、そうさせてくれないのである。
 取って代わるのは、ひたすらの食欲。生きたいんじゃない、死にたいのに……体はまだ、もがきつづけている。犬としての本能か、自分の魂の喘ぎなのかはわからない。
 ルナはそんな本能すらうとましかった。ひたすら自分を責め続けた。それだけが、無力になった自分ができる、死んでいった者達へのつぐないだった。
(守れなかった……お父さまも、キースも。あんなに、ロトの子孫として、王女として、期待を掛けられていたのに。何もできなかった。何も……!)
 体力が尽きようとしていた。体がひどくだるく、ルナは力なく目を閉じた。そこへ、優しい声が降りかかった。
「……あら、こんな所にワンちゃんが? ひどく弱ってるわね……よしよし、大丈夫?」
 薄く目を明けると、30代前半と思われる青い衣の尼僧がしゃがみこみ、優しく汚れた頭をなでてきた。
「きっとおなかがすいているのね。おいで、何か食べさせてあげるわ」
 軽々と彼女に抱き上げられるのに任せながら、ルナは思った。
(もし、また人間に戻れることがあるのなら、その時は――)
 二人の幼なじみの顔が浮かんできた。会いたい、と強く願う。
(ロラン、ランド。早く来て――私を見つけて……!)
 それは決して甘い思いではない。
 青く、冷たく燃え上がる業火に似ていた。


 ――ルナが犬の姿に変えられた4日前、ロト三王家の一つムーンブルク国は、ハーゴンの魔物達によって滅びた。
城と城下町は一日半燃え続け、その炎は北のサマルトリアまで届いて見えたという。
 生存者はほとんどおらず、かろうじて逃げ延びた人々は、ムーンペタの町に難民として受け入れられた。だがその多くは、魔物の襲撃で重傷を負い、あるいは精神に深い傷を負って、数日ののちに命を落としていった。
 地理的に世界の中心に位置するムーンブルクの城は、町ごと瘴気と毒の沼に覆われ、近づく者がいなくなった。ムーンブルク国王が亡き今は、ムーンペタの町が自治体制を取り、周辺の治安に努めている。
 事態を重く見たローレシアサマルトリアは、それぞれ支援物資を送るなど対策を取った。町への襲撃も懸念して、兵の派遣も申し出たが、あれ以来魔物の大掛かりな襲撃はなく、両国の防衛面も考慮して、ムーンペタ町議会は武力面での支援を断った。
 幸いにも、ハーゴンの集団は沈黙を続けている。不気味なほどに。

 ローレシアの王子ロランと、サマルトリアの王子ランドがムーンペタの町にたどり着いたのは、それからさらに、二月(ふたつき)後のことであった。