蒼雪庵

いまだに推敲中

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・1

序章

 

 風が渡る草原を、一本の街道が貫いている。
 右手には雄大なローレシア山脈を望み、左手には空を挟んでうっすらと青い筋があった。
 少年は歩みを止めず、懐かしむように草原の向こうに広がる海を見た。海の見える街は彼の故郷だ。この街道を伝って行けば、やがて北上し、海は見えなくなるだろう。
 軽く体をゆすって肩に食い込む野営道具を背負い直し、少年はまっすぐ前を向いた。
 彼は旅人だった。
 深い青色のチュニックに、青く染めた皮の手袋と長靴。靴の上には白い脚絆を巻いている。頭には厚手の布で作られた丸い頭巾。その上から、強い光や風砂から目を守るゴーグルを着けていた。
 腰には護身用の銅の剣が揺れている。
 と、背中の方から、荷台がきしむ音と蹄の音が聞こえた。歩くことに集中していたので、不意を突かれる。驚いて彼は道の脇に退いた。
「おっと、すまんねえ。お先に」
 御者台から気さくに声をかけてきたのは、商人らしき中年の男だ。あまり若くない栗毛の馬に古ぼけた馬車を引かせている。少年の目の前を、馬車はガタゴトと揺れながら通り過ぎた。
 ふうっと少年は息をついた。旅立ってから1日半たつが、まだ緊張が抜け切れない。なにしろ、彼が一人で街を出たのは、これが初めてだったから――
「ひええっ! こら、こっちに来るなあっ!!」
「っ!」
 考える間もなく少年は地面を蹴って走り出していた。ずっと先を行っていた馬車が立ち往生し、馬の悲鳴と商人の叫び声がひっきりなしに響いてくる。犬の威嚇と同じだ。しかし、馬車を襲おうとしている輩にこけおどしは通用しない。
 重い荷物をものともせず、少年は素晴らしい速さで馬車に追いついた。馬がさかんに足を踏みかえ、御者台では商人がひのきの棒を振り回し、地面から来るものを追い払おうとしている。
 ピキーッ!
 甲高い声とともに草むらから丸く青い塊が商人に向かって跳ねた。手足はなく、しずくを垂らしたような顔一つに、まん丸い目とにっこり笑った赤い口。スライムだ。商人が棒切れを放り出し、その場で頭を抱えた瞬間、別の青い影が間に入る。
 バシッと目の前で鈍い音がして、商人ははっとして顔を覆った指の間から様子をうかがった。
「あ、あんた!」
 商人は驚いた。さっきすれ違った少年が、果敢に数匹の魔物と戦っている。
 銅の剣一本で彼はスライム数匹と、さらにはおおなめくじを相手にしていた。
 スライム達は高く跳び上がって次々と少年に体当たりをしてくる。少年は剣を持たない左手で殴り、弾力のある体を弾き返していた。
 子牛ほどもある黄色くぬらぬらしたおおなめくじは、突き出た赤い眼球をぎょろぎょろさせ、うつろに開いた口から透明な粘液を吐き出した。弱い酸だが、皮膚に付けば火傷をするし、何度も喰らえば致命傷にもなる。少年は数歩跳ねるように下がって避け、近づいてきた黄色い体に剣を突き立てた。
 ぶるっとねっとりした体が震え、おおなめくじの目の色が白くなる。少年は一瞬、痛ましそうに歯を食いしばり、目を細めた。剣を抜くと同時に、魔物はふっとかき消える。半身になってスライムの群れに向き合うと、スライム達は甲高い声を上げて逃げ出した。
「ああ、助かった……」
 ぶるぶる震える体を励まして転げるように御者台から降り、同じく怯えが止まらない馬の首を抱くようにしてなだめながら、商人は息を整える少年を見つめた。
「あんた、ありがとうよ。おかげで命拾いした」
 肩で息をしていた少年は振り向くと、わずかに微笑んだ。戦う時に投げ捨てた荷物を取ろうと向けた背中に、商人は思わず呼びかけていた。
「よかったら、乗っていかんかね。あんたもリリザの町へ行くんだろう?」
 荷物を背負おうとした少年は、少しびっくりしたように振り向いた。商人と馬を見比べ、やや考えてから、「はい」とうなずく。ほっとして、商人は馬車の幌を開けた。
「さあ、乗った乗った。ちょいと散らかってるが、足は伸ばせるよ」
 礼を言い、少年が後ろから乗り込むと、商人は張り切って手綱を軽く馬の首に当てた。
「そら、進め!」



「そうかい、友達に会いに、サマルトリアまでねえ……」
 焚き火を前に、隣に座った少年に食後の温かいお茶を振る舞いながら、商人は感心してうなずいた。背中にはレンガの壁。屋根はないが、少しでも風をしのげるのはありがたかった。廃墟といえど何もないよりはずっといい。馬車から馬を外して、楽にもしてやれる。
 馬は彼らの脇でのんびりと近くの草を食んでいた。
「幼なじみなんです。……もう、10年も会っていないけど」
 湯気を立てる錫(すず)製のカップを受け取り、言葉の最後の方で少年は困ったように微笑した。そんな様子が年頃の子どもらしい。商人はにっこりする。
「うんうん。隣の国でも離れて暮らしてちゃ、仕方がないよ。でも会えばすぐにわかる。うちとけて、昔みたいになるさ」
 少年は少し照れたように、カップに口を付けた。いい子だな、と商人は口元を緩ませる。頭巾から覗く栗色の眉は凛々しい。瞳は大きく、まるで海の色を映したような、澄んだ青色だ。肌の色は白く、荒れてもいない。所作や言葉遣いも下品なところがなく、一体どこのお坊ちゃんだろうと不思議に思った。
 仮に貴族の御曹司なら、護衛も付けず一人きりで旅はしないだろう。しかも武器が、旅人の最低限の護身具とされる銅の剣のみだ。路銀もそう多いようには見えない。
 まあ、いろいろ事情はあるよな。こんなご時世だ。商人は胸の内で納得する。
「……あなたは、どうしてリリザへ? ご商売ですか?」
「いや、嫁いだ娘夫婦と孫に会いに、ねえ」
 口数の少ない彼が自分から尋ねてくれたことがうれしくて、商人は声を弾ませた。
「孫は今年三つになるんだが、その誕生日祝いに、ローレシア土産を持って行こうと思ってねえ。……けど」
 商人は困ったように笑って周りを見渡した。
「こんな風景を見ちゃあ、楽しい気分もふっとんじまった。わし一人、何を浮かれてるんだろうってさ」
「……」
 少年も痛ましげに唇を噛んだ。彼らが雨露をしのぐために使っているここは、かつて宿屋のあった場所だ。ローレシアの首都と、サマルトリア国境沿いに栄えるリリザの町を結ぶ街道の中間地点にも、宿場町があった。
 だが半年前に魔物の集団に襲われ、滅びてしまったのである。