蒼雪庵

いまだに推敲中

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・198

 雷鳴がとどろいていた。大蛇のような稲妻が周囲を駆け巡っている。
「――っ!」
 ロランは、拳で床を打った。
「勝てないのか、どうやっても!」
 拳を床に置いたまま、ロランは顔を上げなかった。ランドも沈痛にうつむいている。
(本当に、本当にそうなの……?)
 ルナは闇に浮かぶ邪神を見上げた。やがて来たる破滅の刻(とき)を喜び、シドーは高らかに吼えた。
 ロランが強いのは、常人離れした腕力や身の守りなどだけではない。戦いの最中、体の奥底から湧き上がる超人的な攻撃力の発揮――会心攻撃があるからだ。その驚異的な一撃があったから、これまでの戦いを勝ち抜けたといえる。
 だが、今はロランの持つその力が押さえられているらしい。
 これが神の力なのか。それとも、神を前に、心の奥で畏れが自らを縛っているのか。
 ロランはまだ顔を上げられなかった。ランドが弱々しく笑った。
「きっと、ぼく一人の命じゃ、あいつは道連れにできないだろうなぁ……」
 笑えない冗談に、ロランもルナも応える気力がない。
 おそらくシドーは魔法攻撃も効かないだろう。それ以前に攻撃が激しすぎて、こちらの生存のために呪文を使わざるを得ない。
 しかも向こうは全快の呪文を使うのだ。長引けばいずれこちらが落ちる。
 ルナはふと、左手首に目を落とした。長旅のために色あせ、ぼろぼろになった編み紐がはまっているはずだった。だが、邪神の業火には耐えきれず、いつの間にかなくなっている。それをくれた、ムーンペタの町に住む小さな女の子の顔が浮かんだ。
「……ロラン。ランド」
 ルナは二人を見た。呆然とこちらを見返す二人に、ルナは決然と言った。
「……聞いてくれる?」

 

「そんな!」
 ランドが反論した。
「無茶だよ! パルプンテは効果が一定しない。魔力の暴走に頼るなんて危険すぎるよ!」
「でも、きっとあなた達の力になるはずだわ」
 ルナは決意を変えなかった。
「発現する効果、すべてが味方になってくれる。使う私が言うんですもの、間違いないわ」
「それじゃあ君はどうなるんだ?!」
 ロランは詰め寄った。
「そんな不安定な魔法、たくさん使ったら君だって危ないんじゃないのか?!」
「――今は命を惜しんでる場合じゃないでしょ!」
 ルナが怒鳴った。ロランとランドが怯えたように黙る。怒ったことをわびるように、ルナは淡く微笑んだ。
「そうでしょ? 私達、どんなことしたって、あれを倒さなきゃならないでしょ?」
「ルナ……」
 ロランは拳を握りしめていた。そうだね、とランドも言った。観念したように。
「16年ってさあ……ぼく達、結構生きたよねえ?」
 ランドがロランの顔をのぞきこんだ。つられて、ロランも笑いをこぼしていた。
「……そうだな。楽しかった」
 顔を上げると、ルナに言った。
「援護、頼む」
「まかせて」
 気丈にルナはうなずいてみせた。

 

(――私の中に眠る力。今世に私を生んだ勇者ロトの血よ)
 いかずちの杖を正面に握り、ルナは意識を自分の深奥へ集中させた。
(我が命と力を捧げる。千変万化の魔の力、二人の翼となり羽ばたきたまえ!)
 ルナの全身が金色に光った。ルナの内側から発せられる光は、赤い双眸を鮮やかに輝かせる。
 ざわっとルナの金髪が騒いだ。足元から風が巻き起こっていた。放たれる光が七色に明滅する。
 ルナの深奥で、光の鳥が羽ばたこうとしていた。ルナは念じた。
(飛びなさい!)
 

 集中するルナを背に、ロランとランドは懸命にシドーの攻撃をしのぎながら機をうかがっていた。そこへ、一羽の大きな光の鳥がシドーへ向かって飛ぶ。
「効いた!」
 ランドが叫んだ。鳥がシドーの胸にぶつかった瞬間、シドーの全身が暗い青の光に包まれたのだ。ルカナンと同じ効果だと知り、ロランはランドとともに瓦礫を伝って邪神へ跳躍した。
「いやあああっ!!」
 ロランの稲妻の剣と、ランドのロトの剣が交錯する。シドーの左側の腕が2本飛んだ。体重をかけて斬りつけた二人の剣が落としたのだ。
(すごい、いつものルカナン以上だ!)
 床にランドと降り立ちながら、ロランは胸が沸き立つ思いだった。
「いけるよ!」
 隣でランドも嬉々として言う。うなずき返し、ロランはまたシドーへと斬りかかった。
 腕を落とされ、シドーは怒り狂った。残った腕を振り上げ、こちらをたたきつぶそうとする。そこへまた、ルナの飛ばした光の鳥が来た。それが二人に吸いこまれた瞬間、シドーの拳がこちらを薙ぐ。
「――っ!」
 思うさま殴られ、弾き飛ばされた。が、思ったほどではない。今度はスクルトを上回る守備力上昇効果が出たのだ。
 ロランが右から、ランドが左から跳躍して斬りつける。シドーはロランの攻撃にベホマを唱え、落とされた腕を再生させたが、ランドの追撃で胸に裂傷を負う。
 勝てる、とロランは確信した。ルナの作戦通りだ。自分とランド、どちらかが追撃し続ければ、シドーも回復が追いつかなくなり、いずれ斃れるだろう。
 それまでルナの援護が持つか。
(いや、尽きる前に倒すんだ!)
 ロランが身構えた時、シドーが胸を反らし、ぞろりと牙をのぞかせる。紅蓮。紫雷をともなう業火が激流となってロラン達を襲った。ロランはランドとルナの前に立ってロトの盾を構えたが、炎熱による激痛がたちまち全身の感覚を奪った。盾が逸れ、炎がランドに燃え移る。火だるまになって転げまわるランドを助けようとしたが、体が言うことを聞かない。自分が呆然と立ちすくんでいるだけだと知った時、シドーの無慈悲な拳がロランを空中高く殴りつけた。

 

 ――これが神の力か。
 床に横たわるロランとランドを見て、ルナは声が出なかった。パルプンテの連続発動による極度の精神集中で、立っているのもやっとだ。
 二人は動かない。すでにこときれている。
 ルナは体を覆う水の羽衣をつかんでいた。これがロランやランドの分もあったら!
(私だけ生き残ったって意味ないじゃないの!)
 生き返らせなければ。ロランとランドの魂は、幽明界にいるあの娘の加護によって、まだこの中空をさまよっているだろう。ザオリクをかければすぐに蘇生できるはずだ。
 だが、ルナの魔力は残りわずかだった。一度ザオリクをかけたら、もう魔法が使えなくなる。
 ならば同じくザオリクを使えるランドを先に蘇生すべきだろう。しかし、ルナはためらった。先ほどの火炎で、ルナも著しく体力を奪われていた。ランドを生き返らせたとして、またあの炎が来たら――。
(耐えられない。全滅する!)
 シドーがこちらを見た。ルナは即座にいかずちの杖を構え、魔力を集中した。
(勇者ロトよ!!)
 ルナは全身全霊をかけて祈った。
(――奇跡を!!)

 

 シドーがルナに炎を吐きかけた時、ルナの全身から閃光がほとばしった。目を打たれ、邪神は一瞬目を閉じた。ルナが発動したパルプンテの光は、一段と大きな光の鳥になってロランとランドへ飛んだ。そして二人の頭上で無数の羽根となる。
「う……!」
 羽根の雨を受けたロランは、息を吹き返した。傍らでランドも身を起こす。
「――ルナッ!」
 ランドが声を上げた。魔力を使い果たしたルナが、力尽きて倒れようとしていた。ロランが駆け寄ったが間に合わず、ルナは前のめりに倒れこんだ。
「大丈夫か?!」
 抱き起こすと、ルナは薄く目を開けるなり叱咤した。
「何やってるの……早く行きなさい……! あいつを倒すのよ……!」
「――すまない」
 側についてやりたかったが、今は感傷に耽っている場合ではない。ランドが左腕から力の盾を抜き、ルナに手渡す。
「危なくなったら使って。ぼくはまだ魔力に余力があるから」
「ありがと……」
 体を起こして盾を受け取り、ルナはうなずいた。ロランはランドと破壊神へ向き直った。
 シドーはまだベホマを唱えていない。こちらを見おろす目は憤怒に染まっている。ここまで痛手を与えた人間は初めてなのだろう。
 逆上しているなら狙いどころだった。そして、これが最後の勝機だった。
 ロランはランドに目配せすると、正面からシドーへ走った。右手にロトの剣、左手にはやぶさの剣を携えたランドが続く。
 シドーが咆哮し、びりびりと大気が震える。だが、ロランとランドは動じなかった。
 心が燃えている。白く熱く、猛々しく燃えている。否、魂が燃えているのだった。
 シドーが大蛇の尾で薙ぎ払う。ランドは瞬時にはやぶさの剣に持ち替え、連撃で尾を寸断した。ロランは突き出された巨大な腕を身を屈めて避け、傾いた柱を駆け上がる。反対側で、ランドも柱を駆け上がった。
 シドーの顎が開いた。胸が膨らみ、ぞろりと牙が並ぶ口腔に燃えさかる火炎がたまっていく。そこへランドが飛び込んだ。
「だああああっ!」
 両腕を焼かれながらランドはシドーの喉奥にロトの剣を突き立てた。苦痛にシドーは怒号した。吐き出そうとしていた炎が口腔からあふれ、火傷を負ったランドが吹き飛ばされる。落ちながら、ランドは叫んだ。
「今だ、ロラン――!」
 ロランは稲妻の剣を振りかぶり、シドーへ飛びかかろうとした。シドーが咆哮する。無数の紫雷が巨体の周囲に降り注いだ。文字通りの雷雨に、ロランは一瞬怯んだ、その時である。
「お前……?!」
 右手に熱を感じ、ロランは稲妻の剣を見ていた。剣は、雷に共鳴し、喜ぶように自らも青白い電光を走らせている。

 それを見たランドは直感した。叫んでいた。
「ロラン! 稲妻は――君の味方だ!!」

 雷鳴がとどろいた。
(――ああ)
 ロランは束の間瞑目し、剣を握りしめた。
(そうか。勇者って……そういうことだったんだ)
 ここで負ければ、自分達が背負ったすべての命が死ぬ。相対するのは、言葉も小賢しい知恵も持たない邪悪の化身だ。求めるのはただ殺戮と破壊のみ。
 これを討つことができるのなら。すべての命を守れるならば。
(命なんて惜しくない)
 毅然と顔を上げると、ロランは稲妻の剣を天に掲げた。
「稲妻よ、僕に落ちろ!! 僕の全部を使って、邪神を討つ剣(つるぎ)となれ!!」
 天が割れた。太い稲妻がロランの剣に走った。
 脳天から足先まで貫く衝撃に、ロランの視界が真っ白に染まる。
 全身にみなぎる強い衝撃にロランは打ち震えながら足場を蹴った。歯を食いしばった。天から下った白い力は、内側からロランを滅ぼそうとしていた。意思を強く持たないと、すぐにばらばらにされてしまいそうだった。
 両手で剣を振り上げながら、ロランは祈っていた。
(この一撃に、神を討つ力を!!)
 稲妻の剣がうなり、三回りも大きな光をまとう。ロランは目の前に迫ったシドーの脳天へ一気に振り下ろした。
「うおおおおおっ!!」

 閃光。
 
 シドーが絶叫し、空間が割れんばかりに鳴動した。
 ロランは落下しながら邪神の頭頂から股間にかけて断ち割った。その筋が金色に光り、脳天から股下にかけて隙間が生じる。と、喉元が急激に膨れあがり爆発した。血や肉が飛び散る中、無傷のロトの剣が雷光を浴びて回転しつつ落下する。剣が床に突き刺さった直後、邪神の巨体は光の柱となって天を貫いた。

 世界の人々は見た。ロンダルキア台地から立った巨大な光の柱が暗黒の天空をうがち、そこからまばゆいほど鮮やかな青空が広がっていくのを。

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・197

【破壊神】

 これが神だというのか。ロラン達は慄然としてそれを見上げた。
 頭部に長く伸びた二本の白い角。顔の両脇には鰭(ひれ)が生え、鼻はなく、牙が生えそろった巨大な口はこめかみまで裂けている。
 4本の腕は三本の鉤爪で虚空をつかみ、宙を泳ぐ足もまた大きい。
 全身は碧色の鱗に覆われ、大蛇の頭を持つ尾がうねくっている。巨体は空中に直立し、背に広がる皮膜の巨翼が悠然と羽ばたいていた。
 短い首から巨大な髑髏を下げている。それが並の巨人のものであろうはずがない。ひと目でわかった。生贄に捧げられた無数の人々の骨を練り合わせて作られたのだと。
 破壊神シドー。邪神官ハーゴンの祈りに応えた唯一の存在にして、見返りに幾千という人間の生き血を求めた邪悪の化身。
 儀典は伝える。シドーは原初に生じた悪の根源のひとつ――破壊を司り、あらゆる暴力の主である。魔物や人間が持つ負の感情、破壊衝動はこの神から生じる。
 ゆえにシドーは言葉と智慧を持たない。衝動のおもむくまますべてを破壊した果てに、世界は混沌に戻されるという。
 聖堂は崩壊し、床だけが残っていた。四方を見渡せるが、晴れていた空は暗黒に閉ざされ、何も見えない。シドーが羽ばたくたびに暴風が巻き起こり、紫電が周囲を飛びかう。厳冬にもかかわらず、やけに空気が生ぬるかった。
「……ぼく達が最後の生け贄じゃない」
 おののきながらランドが言った。
ハーゴンがそうだったんだ! 最初から決まってたんだ!」
「――くっ!」
 ロランは歯噛みした。ハーゴンが言っていた意味がようやくわかった。
 ――たとえこの私を倒しても――
(そういうことだったのか!)
 ゴオオオッ!!
 シドーが天を仰ぎ、咆哮した。雷鳴に似た声に空間が共鳴し、無数の雷が降り注ぐ。
「――来るぞ!」
 ロランが身構えた。シドーが白い表皮に覆われた胸を膨らませ、一気に業火を吐き出す。ロランが二人の前に立ち、ロトの盾で炎を防いだ。しかし地獄の炎は熱に耐性を持つロトの鎧をも焦がした。盾を支えるロランの手と腕が焼かれ、すさまじい痛みに頭が真っ白になる。轟と燃え盛る炎熱の中、あぶられる腕の血が煮えたぎり、幾万本もの針を打ち込まれるような痛みに気が遠くなる。永劫のように長い時間だった。
「べホマ!」
 炎がやんだ直後、ルナが全快の呪文を唱える。安堵によろめき、だがすぐに膝に力をこめた。ロランは倒れて傾いだ柱を駆け上がり、巨大な体へ飛びかかった。
「おおおっ!」
 落下する体重を乗せ、ロランはシドーへ斬りかかった。シドーはうごめく腕の一本を軽く振る。指先に当たっただけで、ロランは軽々と吹っ飛んだ。
ベホイミ!」
 ランドががいち早く呪文を唱える。一瞬で腕や体の痛みが消え、ロランは空中で体勢を立て直した。着地してすぐ、シドーの尾へ斬りかかる。即座に、後方でランドがスクルトを、ルナがルカナンを唱えた。
「やああっ!」
 床すれすれに垂れ下がってうごめいている大蛇の尾へ斬りつけると、あざ笑うように舌を出し入れしていた大蛇の頭が落ち、どっと鮮血が吹き出した。シドーが吼えた。神といえども、肉体を持つ以上は現世の法則に従うのだ。
(勝てるかもしれない!)
 ロランが思った時、不気味な声音が聞こえた。
「何っ?!」
 ロランは目を疑った。切り落としたはずの大蛇の頭が生えてきたのだ。見上げると、シドーは笑いを深めたようだった。
ベホマよ! あいつも使えるんだわ!」
 ルナが叫ぶ。シドーが再び業火を吐いた。3人は喉や肉を焼かれる激痛と息苦しさにのたうち回った。
ベホイミ……!」
ベホマ!」
 苦しげにランドがロランにベホイミをかけ、ルナがランドにベホマをかける。そのわずかな間を無駄にしないよう、ロランはシドーの足先へ走る。
 ぶうんと尾がうなった。斬りつけようと振りかぶった瞬間だった。まともに腹に受け、ロランは壁にたたきつけられた。即座にルナがベホイミを唱えた。手足に力が戻ると、ロランはシドーへ走った。跳躍し、足首に斬りつける。だが。
 ――ベホマ……
「だめだ、また……!」
マホトーン!」
 ロランが歯噛みした時、気迫のこもったランドの詠唱が響いた。しかし魔封じの方陣は、邪神の前であっさりと消え去った。
 シドーは2対の腕を振り回し、ロラン達につかみかかった。ロランは右腕の直撃を受け、床にたたきつけられる。ランドは左手の一本につかまれると、無造作に放り投げられた。落下したランドは頭を打ち、意識を失った。
「ああ……!」
 ぐったりした二人を見て、ルナは焦った。
(助けなきゃ)
 どっちを先に?!
 ルナはシドーを見上げた。シドーは、起き上がろうと肘を突いたロランを見ている。いかずちの杖を構え、ルナはロランにベホマをかけた。ロランは跳ね起き、敢然とシドーへ斬りかかる。その間に、ルナは倒れたランドへ駆け寄った。
「ランド、しっかり!」
「……っ」
 ランドの顔は真っ青だった。ルナが抱き起こすと、力の盾がはまった左腕を掲げようとする。ルナが手伝って、盾を天に掲げさせた。癒しの光がランドを包んだ。
「勝てない、このままじゃ……」
 脂汗を浮かべ、ランドはロランを翻弄するシドーを見た。
「あいつが回復する前に倒さないと、いくらやっても無理だ。きっとあいつの魔力は無限だろうから、尽きるまで待ってられないよ」
「……っ」
 どうすればいい。ルナが考えを巡らせようとした時、シドーが天に吼えた。紫色の稲妻が無数に降り注ぎ、大気を灼く。
「うあっ!」
 稲妻の一本に打たれ、ロランがこちらへ弾き飛ばされた。どっと転がる体を、二人して支える。
ベホイミ!」
 ロランの胸元に手を当ててランドが回復呪文を唱える。眉を寄せ、ひと声うなって、ロランは目を覚ました。
「ロラン、大丈夫?」
 ルナが声をかけると、ロランは血の気のない顔で自分の手のひらを見つめた。
「どうしたんだい?」
 不吉な予感がして、ランドが尋ねる。ロランはありえない、とつぶやいた。
「力が出ないんだ……いつもの、あの感じが来ない」
「どういうこと?」
 ルナが訊く。ロランは開いていた手を握りしめた。
「……会心が来ない。出せないんだ」
 ランドとルナは絶句した。

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・196

ハーゴン
 広大な青白い結界に守られた薄暗い聖堂に、低い祝詞が響いていた。
 巨大な邪神の像の足元には、なみなみと生き血を湛えた溝があった。邪神官ハーゴンはその前にひざまずき、一心に祈っていた。
「……誰だ。我が祈りを邪魔する者は」
 ロラン達が背後へ近づくと、ハーゴンは静かに立ち上がり、振り返った。
「お前を止めに来た。――邪神官ハーゴン
 ロランは言った。声は乾いていた。だが、ハーゴンを見つめる瞳は硬質の光を放っていた。
「我を邪(よこしま)と呼ぶか……」
 ハーゴンは杖を持たない手で顔を覆い、低く笑った。
 ひそひそと胸に忍び込む低い声は、魅惑的だった。孤高でありながらどこか寂しげでもある。この声で世を嘆き、救いをもたらそうと呼びかければ、多くの者が賛同するだろう。彼の力になりたいと願って、身を擲(なげう)つだろう。
「何も知らぬ愚か者。いくばくかの天の助けも得てここへ来たようだが、それも終わりだ。お前達の成そうとすることは、緩慢な世界の滅びを助けるに過ぎないのだぞ」
「邪神にすがってまで世界を変えようとすることが、本当に救いとは思えない」
 ハーゴンの金色の目を見すえ、ロランは言った。くくく、とハーゴンは笑った。
「まだお前達は天の神や大地の精霊とやらを信じているのか? 利用されているにすぎぬというのに」
「……僕達が信じるのは、誰もが生きたいと願う、その心だけだ」
 ハーゴンは顔を覆っていた手を下ろした。口元に鋭い犬歯がのぞく。
「人間は愚かだ。魔物の体に成り果てたが、私も何ひとつ変わってはおらぬ。救いを求める手段に暴力しか持たぬ、その浅ましさもな。だが、救世のために私は身を捧げよう。――来るがよい!」
 ハーゴンは巨大な宝珠を戴いた杖を振りかざした。ロラン達の目の前が光る。イオナズンだ。痛みも熱も、何度食らっても慣れない。骨を焼かれる苦痛を食いしばり、ロランはハーゴンへ斬りかかる。背後で、ランドとルナが回復呪文を唱和する。
「やああっ!」
 ロランの一閃を、ハーゴンは杖でたやすく受けとめた。強い、とロランは直感した。間髪入れず、ハーゴンの回し蹴りがロランの腹部を捉える。どっと背骨へ抜ける衝撃を受け、ロランは吹き飛ばされていた。
スクルト!」
 ランドが守備力を上げる。ルナがハーゴンルカナンを唱えた。ハーゴンは立て続けにイオナズンを唱えた。すさまじい爆裂に身を守るすべもなく、3人は激痛に耐える。
「べ、ベホマ……!」
 床に倒れこみ、朦朧としながらルナがぐったりしたランドに呪文をかけた。意識を取り戻したランドは、ロランを見てまだ余裕があると判断し、ルナに優先してベホイミをかける。
 ロランはハーゴンに斬りかかったが、火傷の痛みが動きを鈍らせた。ハーゴンは一撃を杖で打ち払う。
 ルナがロランにベホマを唱える。痛みが一瞬で引き、ロランの腕に力が戻った。足を踏みかえ、斬りつける。が、ハーゴンの鋭い蹴りが刃を打ち払った。体勢を崩されたが、一瞬で身を引いて避け、ロランは間合いを取る。にっ、とハーゴンが笑った。
「素晴らしい。お前は優れた人間だな。我が新しき世に生きるにふさわしい」
「僕が優れているって――?」
 ロランが眉をひそめると、ハーゴンは両腕を広げた。
「しかり。かつて、この世界にはお前達のような人間がひしめいていた。強き技と魔力を持ち、高い文明を築いていた。世界には生きる力が充ち満ちていたのだ。だが、今の世はどうだ。何の力も持たぬ輩がのさばり、過去の遺物にしがみついて生きている。新しきものを生み出す力は失われ、やがて人間は魔法という素晴らしい力があったことも忘れるだろう。そして野の獣となり、互いを高め合うこともなく、日々の糧のみに頭脳を費やすであろう。それは滅びだ! 人間という高等な種の滅びなのだ!」
「高等――何を基準にしてそう言えるの?」
 ルナが怒りを瞳に溜めて言った。
「あなたの言うことは、力を持たない人間に生きる権利はないと聞こえるわ」
「その通りだ」
 ハーゴンは残忍な笑みを浮かべた。
「優れた者が優れた子孫を残すに足る。だからこそ、お前達が生まれたのではないかね?」
「そうかなあ」
 ランドが首をかしげる。
「キメラがメイジキメラを生むってことわざもあるけどな」
「劣った者は劣った者しか生まぬ」
 ハーゴンは冷然と答えた。
「ロトの子孫よ。お前達がここまで到達できたのは、その血によるものだ。勇者ロトという特別な血がなければ、神々はお前達を助けはしなかった。わかるか? “特別”でなければ、人間は見捨てられてしかるべき存在なのだ!」
「――違うっ!!」
 ロランは叫んでいた。猛然と斬りかかる。振り下ろした稲妻の剣を、ハーゴンは杖で受けとめた。火花が散る。
「なぜ違う? ローレシアの王子よ」
 ぎりぎりと剣を押し返しながら、ハーゴンは言った。
「ならばなぜ、天は他の人間にロトの装備を使わせない? 誰もに資格があるのなら、なぜお前達だけに戦わせる?」
「僕達は人々の願いの結晶だと言われた」
 渾身の力で押し返し、ロランはハーゴンをにらんだ。

「資格というのなら、それは僕達の血筋が背負う運命だ。でも僕は、“僕達だけが”それを担っているとは思っていない」
 ハーゴンは嘲笑した。
「お前は自分が、愚昧な人間と同じだというのか?」
「――そうだ」
 ロランは再び斬りかかった。ハーゴンがまた杖で受けとめ、激しい打ち合いが続く。その最中でロランは言った。
「僕は魔力を持って生まれなかった。お前が言う、できそこないだ」
「しかし、素晴らしい力を持っている。戦う力もある」
「それは結果だ! 使命もなく、城にいるだけなら、僕もただの人間だったんだ」
 ロランの瞳が悲しみに揺らいだ。
「――殺されたすべての人は、僕だ! 魔法も使えず、戦う力もなく、暴力に抗うこともできず、理不尽な狂気に犠牲になっていた――僕自身なんだ!」
 青白い剣閃が斜めにほとばしった。ハーゴンは苦鳴を上げ身を反らす。返す手で詰め寄り、ロランはハーゴンの懐深く斬り込んでいた。
「ぐはあっ……!!」
 ロランの剣は、ハーゴンの背を突き抜けていた。邪教の紋章を染め抜いたローブに、じわじわと赤黒い染みが広がる。ロランはゆっくりと剣を引き抜いた。数歩後退する。
「ぐっ……」
 ハーゴンはよろめき、杖で体を支えた。傷を抑え、手のひらに付いた血を見る。顔を上げ、にやりと笑った。すさまじい笑みだった。
「愚かな……。他人と自らを等しく思うとは。無能な人間と肩を並べ、世の発展と進化を放棄するのか」
「命は、」
 ロランの声がわずかに震えた。
「才能で価値が決まるものじゃない。誰だって生きていいんだ。それでこの世が滅ぶというのなら、僕は流れに身をゆだねる。お前一人が決めていいことじゃない」
 ハーゴンの青ざめた顔には、冷笑が浮かんだだけだった。
「たとえこの私を倒しても、世界は救えまい! そんなこともわからず……お前達はここまで来たのだ……」
「何を言っているの……?」
 ルナがいかずちの杖を胸元に抱き、柳眉を寄せた。ハーゴンは天をあおぎ、両腕を広げて声高に叫んだ。
「破壊の神シドーよ! 今ここに、最後の生け贄を捧ぐ!!」
 ハーゴンの口からどっと血があふれた。目から光が消え、あお向けに倒れる。手から離れた杖が、床に弾んで高い音を立てた。
「……どういうことだろう。最後の生け贄って……ぼく達のこと?」
 ランドが不安そうに言ったその時、邪神の像が真っ赤な光を放った。広間が大きく揺らぎ、3人は倒れまいと踏みとどまる。しかし振動は神殿全体から発生していた。
 ――否、ロンダルキア全体から。


 同時刻、世界の人々は空がみるみる陰っていくのを見た。ロンダルキアのふもとは激震に襲われ、ぺルポイの住人達は恐怖に叫びながら我先に地下都市を飛び出した。ザハンからの漂流者ルークは、押し寄せる人々に流されながら地下道を出た。
「頭が……」
 前頭部が鋭く痛み、ルークは額を抑える。漂流してからずっと記憶を失っていたが、何かを思い出しそうな気がした。阿鼻叫喚の中、ふと前を見上げる。
 白い台地全体が揺らいでいるのを見、ルークは戦慄した。

 

「陛下、空が!」
 老臣マルモアと近衛隊長シルクスが、謁見の間に駆け込んだ。大臣達の話を聞いていたローレシア王は、取りも直さず二人についてバルコニーへ走った。
「これは……!」
 南の方角から広がる闇に、王は愕然とした。城下でも人々が不安げに空を見上げている。
「あれはロンダルキアの方角ではないか?」
「左様でございます。おそらく今、ロラン王子達は邪神官と戦っておられるのでしょう」
 硬い面持ちでシルクスが言う。王はきつく手すりをつかんだ。
「ロラン……!」
「おお、神よ!」
 マルモアは涙をためて両手を組み、空を仰いだ。
「どうかロラン様をお守りくだされ! ランド王子とルナ姫に武運を!」
(ロラン……頑張れ!! ルナ、ランド、死ぬではないぞ!!)
 南を見つめ、王は胸の内で叫んでいた。


 振動は激しさを増した。
 次々にかがり火や柱が倒れていく。壁や床に大きな亀裂が走る。ロランはランドに叫んだ。
リレミトを! 崩れるっ!!」
「り、り」
 振動のために舌を噛みそうになりながら、ランドは右手を掲げた。
リレミト!」
 だが、3人の体は移動しなかった。
「かき消された……閉じこめられたんだわ!」
 ルナが悲痛な声を上げた時、紫色の稲妻がいくつも聖堂を駆け巡った。光と闇が明滅し、雷鳴が鼓膜を聾した。
「――っ!」
 激震が走った。立っていられず3人が膝を突いた時、邪神の像の背後から、巨大な腕が壁を砕いて突き出た。三本しかない指が、赤々と光る邪神の像を握りしめる。像は砕け散り、破片が波打つ血の溝に次々と落ちてゆく。
 ロラン達は見た。崩壊する壁の向こうから、巨大な顔と腕がのぞくのを。

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・195

【ベリアル】

 双塔を支える5階の階段は、左の塔につながっていた。終わりがないのではと思うほど長い階段を上りつめると、屋上に出た。正十字形になった頂上部の右――ロラン達から見れば正面から、床材を並べた細い橋が渡っている。橋には手すりがなかった。
 屋上は風が強く、吹雪になっていた。ロラン達は離れぬように、慎重に早足で渡った。
「……来たか」
 橋を渡り終えると、重々しい声が響いた。右の塔と同じ形の広間に、金色の悪魔が立っている。悪霊の神々、最後の一柱――魔界の将ベリアルである。
 無言で身構える3人に、ベリアルは不敵に笑った。
「よい目だ。殺戮に言葉は要らぬと、お前達もようやく理解したようだな」
「言葉で説いたところで、お前達は聞かないだろう」
 ロランが言った。ベリアルの口元がつり上がる。
「無論。だが、それはお前達人間も同じではないか? お前はその剣で、何千という我らの同朋を殺してきた。目的のためなら殺戮もいとわぬ、それが正義だとうそぶくのなら、悪魔と人間にどんな違いがある!」
 ベリアルは三叉槍をしごくと、3人めがけて繰り出した。ロランは鋭い突きを盾で受け、両脇にいたランドとルナは素早く左右に散り、スクルトルカナンを唱える。自分の体が軟化したのは知っていたが、ベリアルはロランが一撃を受けとめたことに感心していた。
「やるな、小僧! 我が槍を止めたのはお前が初めてよ」
 ベリアルは右手で槍を突き出したまま、左手を天に掲げた。人差し指で円を描きながら集中する。
イオナズン!」
 避ける間はなかった。ロラン達は爆風に吹き飛ばされ、床や壁にたたきつけられる。しかし苦鳴は上げない。ランドがロランに、ルナがランドにベホイミをかけ、ロランは稲妻の剣を構えて悪魔へ走る。
 ベリアルは炎を吐いた。青みがかった高熱の炎に焼かれながら、ロランは跳躍した。大上段から振り下ろされた剣を槍で受ける。すさまじい衝撃が槍を振るわせた。ベリアルは愉悦を浮かべた。
 間近に見るロランの青い目には、恐怖も義心もなかった。目の前の敵を倒そうという意思だけが冷たく輝いている。
 理想的な人間だ。ベリアルは惚れ惚れした。
「むん!」
 力任せに槍を押し返すと、ロランは宙を舞った。無防備な体に槍を突き上げる寸前、脇腹を浅い痛みが走る。ランドがはやぶさの剣で斬りつけたのだ。
「雑魚が、邪魔をするな!」
 ベリアルは長い尾を打ち振ってランドを弾き飛ばした。口の中を切って、ランドの唇から血がこぼれる。だが泣き言は言わない。即座に力の盾を天にかざして自分を癒し、果敢に攻撃してくる。その間に、ルナがベホイミでロランが負った火傷を癒した。
 ベリアルは翼をはばたかせて宙に舞うと、再びイオナズンを唱えた。白熱。しかし悲鳴は聞こえない。熱と風圧に、常人なら絶叫してもだえるところだ。だが、ロラン達は無言で耐えている。爆風が収まると、すぐにランドとルナが回復呪文を唱える。ロランはそれを背に、ベリアルへ斬りつけた。
(なんだ、この感じは……)
 攻撃を受けそこね、胸元を深く切り裂かれながら、ベリアルは一瞬、畏怖を覚えた。
(我が恐れているだと?)
 ロラン達は、自分が思い描いていたような甘い人間達ではなかった。励まし合い、苦痛に泣き叫びながらも立ち上がって無謀な戦いを挑もうとするような――。もはやそういう人間ではなくなっていた。仲間の連係にもいちいち感謝を告げない。なぜなら、お互いにそうするのが当たり前になっているからだ。ランドとルナが互いの傷を癒し、ロランがひたすら攻撃をする。それは3回行動できる、ひとりの人間に似ていた。
 3人をつなぐ命の線が見えた気がした。ランドとルナ、どちらかを倒せば、この均衡は崩れる。ベリアルはルナに狙いを定めた。ロランとじっくり殺し合うのは、あとでもできる。
「はあっ!」
 ベリアルは槍を突き出した。衝撃波がルナを襲い、華奢な体が宙を舞う。
「きゃあっ!」
「ルナッ!」
 ランドが跳んで、空中でルナの体を受けとめた。その隙に、ロランがベリアルの背へ斬りつける。
「ぐおっ!」
 翼を切り裂かれ、ベリアルは振り向こうとした。硬い皮膚と筋肉で覆われたいかつい体は、身をひねるのが難しい。脇腹に、ずん……と鈍い衝撃が走った。首を傾けると、ロランの剣が深々ともぐり込んでいる。ごぼりと血を吐きながら、ベリアルはにやりと笑った。
「背から襲うのは卑怯だと習わなかったか?」
「それも戦法だと、旅で学んだ」
 剣を引き抜き、ロランはとどめを刺そうと振りかぶった。
「――ベホマ!」
 ベリアルは全快の魔法を使った。瞬時に傷が癒え、翼も元通りになる。初めて、ロラン達の顔に動揺が広がった。
「まだ終わりではないぞ。我を侮るな!」
 ベリアルは槍で薙ぎ払った。風圧で3人が宙に舞う。
「うわあーっ!」
「ランド!!」
 宙でもがきながら、ロランはランドが部屋から放り出されるのを見た。その背には白い空。回廊とも呼べない細い橋には取っ掛かりもないのだ。ロランは背筋が凍った。肩から床に落ち、痛みに息が詰まったが、気力を振りしぼって立ち上がり、ランドのもとへ転がるように走る。
「ランド!」
「ロラン……」
 ランドは橋の縁に、両手の指だけでつかまっていた。強まる風が細身を振り子のように揺らし、そのたびにランドは恐怖に歯を食いしばる。風は彼をあざ笑うように、上へ下へと吹き荒れた。
「今引き上げる!」
 ロランは剣を置くと、ランドの手首をつかんだ。ベリアルの哄笑が響いた。
「助けあうことは美しきかな――。だが、これでもまだできるか?」
「――ルナ?!」
 ゆっくりとロラン達へ歩み寄るベリアルの左腕には、ルナが抱えられていた。首を絞められ、苦しげに足をばたつかせている。
「だめよ、こんな奴の言うこと聞いちゃ……」
 逃れようともがきながら、息も絶え絶えにルナが言った。ロランはランドの手首をつかんだまま、無言でベリアルをにらんだ。
「貴様がその王子を引き上げると同時に、王女の首を折る。だが、その手を放せば、首を折るのはやめてやろう。どうするかね?」
「……」
 ベリアルを見るロランの目が、ますます冷たくなった。
「お前達悪魔の常套手段だな。バズズも同じ様なことをした」
「常套にして最善。そして、人間の苦しみを見ることが喜びよ」
「……ロラン」
 宙づりになったランドが、ロランを見上げた。ロランはランドの唇の動きに、苦渋を浮かべた。
 びょうと風が吹いた。横殴りの雪が紗幕となって、一瞬互いを隠す。
「……ルナを離せ」
 ベリアルを見つめたまま、ロランはランドをつかんでいた手を放した。力尽きたのか、ランドの手があっさりと縁から離れる。ルナは目を見開き、声も出なかった。ベリアルは胸を反らせて笑った。
「はーはっはっは! 友情より女を取ったか。気高い勇者の子孫も、下劣な感情に負けたものだな」
 ベリアルは乱暴にルナを床に放り出すと、風が吹き荒れる橋に踏みこんだ。稲妻の剣を手に、ロランは立ち上がった。
「――わかってない」
「――何?」
 仲間を失ったというのに、ロランは微笑んでいた。ベリアルは動揺し、足を止めた。
「――僕達がどれだけお互いを信じているか。――お前には一生わからない」
 ベリアルは見た。ロランの左手側から、青い翼を広げて少年が舞い上がるのを。風のマントを身に着けたランドが、荒れる風を捉えてこちらへ滑空してくる。はやぶさの剣を抜き放って――。
(そうか、あの時!)
 雪の紗幕が視界を遮った時、ロランがランドへ、小さく畳んだ風のマントを渡したのだろう。こちらの目が届かないところでランドはそれを身に着けていたのだ。
(謀られた!)
 歯噛みした時、ロランも怒号を上げてベリアルへ突進していた。ベリアルが槍を構える寸前、素早く滑空したランドのはやぶさの剣が十字を描いた。
「ぐおおっ!」
 首と胸を切り裂かれ、ベリアルはのけぞった。そのみぞおちへ、熱い衝撃が突き抜ける。ロランが稲妻の剣を突き刺したのだ。
「こしゃく、な……」
 体を折ってよろめき、ベリアルは倒れまいと槍で自分を支えた。
「べ、ベホ……」
 全快の呪文を唱えかけたその時、ぐきりと首で音がした。視界が斜めに歪む。
「……なっ」
 血走った目を必死に向けると、剣ではなくロトの盾を横にしてこちらの首にめり込ませたロランが映った。
「……盾はそういうことに使うなと」
「習ってない」
 そっけないロランの言葉に、ベリアルは皮肉に笑っていた。
 そうか。――天才か。
 言い終えることなく、ベリアルの視界は暗転していた。
 巨体がどうと背から倒れ、黒いもやとなって消えると、ロラン達は胸で息をついた。
「やるじゃない」
 ロランとランドを見て、ルナが不敵に微笑む。
「私もだまされちゃったわ。でも、あなた達らしいわね!」
「ランドの機転のおかげだよ」
 ランドを見て、ロランは微笑む。ランドも照れて笑った。
「うまく飛べるか自信なかったけど……でも、落ちなくてよかったあ」
「ちゃんと飛べてたよ。うまいじゃないか」
「風にも助けられたからね。運が良かったんだよ」
 だが、その運も自分達が勝ち取ったのだと、ロランは思う。ベリアル達が負けたのは、表向きの言葉や顔色だけで、人間の何もかもを知った気でいたことだ。
 人間はそんなに浅くない。そう言ってやったところで、もう彼らには伝わるはずもないが。
 3人は、ベリアルが守っていた最後の階段を見上げた。
 この上にハーゴンがいる。長かった戦いも終わるのだ。
 きっと口を結んで、ロラン達は階段を上り始めた。

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・194

バズズ

「よぉおおこそ」
 嫌らしい笑みを満面に、紫色の猿魔が迎え出た。
 悪霊の神々の一柱――狡猾の主、バズズである。
 5階は、左右に壁と柱が断続的に並ぶ吹き抜けの回廊だった。バズズの背後に、双塔へつながる階段室が見える。
 風が出始めていた。まわりは一面の白。太陽は雲に隠れ、雪が舞っていた。
「長かったなァ、ここまで……。この日を愉しみにしていたんだぜェ」
 ゼイゼイと悪魔は笑った。ルナが低い声で応える。
「ずいぶんしわがれた声ね。若いふりはよしなさい」
 ヒッヒッ、とバズズは腹を抱えた。
「よくわかったねェ、お姫様。だが、気だけは若く持っていなければなァ。太古の時間を生きていれば、枯れる悪魔も多いがねェ。――しかし、今はずいぶんと落ち着いているじゃないか。わしの影に出遭った時は、あんなに怯えていたのに」
 ルナは一瞬黙った。が、すぐに不敵に見つめ返す。
「お前こそ、私が呼び出した存在に尻尾を巻いて逃げたじゃない。見ものだったわよ」
パルプンテ――まさかお姫様が使えたとはなァ。だが、あれは魔力の暴走が招く事故だ。また好都合なことが起こるわけではない」
「もう、あの時とは違う」
 ロランが前に出た。バズズの赤い眼が三日月に歪んだ。
「しかし、わしの敵ではない!」
 言いざま、バズズはこちらへ跳躍した。
ザラキィ!」
 突きだした手から赤紫色に輝く光弾がいくつも飛び出す。視覚化された死の手は、ロラン達の血を凍りつかせようと迫った。ザラキの呪文は目に見えないからこそ避けようがない。だが、バズズはより相手を恐怖させるため、あえて改良したらしい。
「踊れェ!」
 ロラン達が光弾をかわした時、3人の中心で爆発が起こった。ほとんど集中せずにバズズイオナズンを放ったのである。悲鳴を上げ、3人は床にたたきつけられた。
 ルナがロランに、ランドがルナにベホイミを唱える。ロランはバズズへ斬りかかった。
「遅いィ!」
 振り下ろしたロランの剣をやすやすとかわし、バズズは壁を蹴ってロランに跳びかかった。赤黒い鉤爪が薙いだ瞬間、ロランはロトの盾で受けとめる。バズズは軽やかに宙返りすると、回し蹴りを放った。顔を殴られ、ロランはのけぞった。
 ランドがスクルトを、ルナがルカナンを唱えた。バズズはげらげらと笑った。
スクルトルカナンは戦いの基本だなァ。よく勉強しておる。少しは休んだらどうだ?」
 バズズは胸をふくらませると、ゆっくり息を吐いた。風に乗って、熟した果実のような甘い香りが漂ってくる。「息を止めて!」ルナが叫んだ。
「甘い息よ!」
 注意をうながしたのがあだになり、ルナが昏倒する。ロランとランドは間に合った。バズズはますます笑い転げた。
「――っ!」
 まだ甘い息が滞留していると踏んで、ロランは息を止めたままバズズへ斬りつけた。初撃をかわし、バズズはさらに笑おうとしたが、翼を一枚切り裂かれる。ランドがはやぶさの剣で追撃したのだ。
「おっと、危ない」
 なんら痛みを顔に出さず、バズズは笑い顔のまま飛びのいた。ロラン達の後ろで早くもルナが体を起こしている。そこへ、間髪入れず呪文を唱えた。
イオナズン!」
 ロランがとっさにロトの盾を構え、ランドとルナをかばう。しかし、爆発の熱と風は容赦なく3人を襲った。装備から露出した肌が焼け、髪を焦がす。ランドとルナが回復呪文を使い、瞬時に互いの傷を癒した。爆発がやんだ瞬間、ロランはバズズめがけて突進する。
ザラキザラキィ!」
 バズズザラキを連発した。ロランは矢のように襲ってくる光弾の中を突っ走る。バズズもまた、ザラキ弾幕としか考えていなかった。死の壁を突破してきたロランを爪で迎え撃つ。あざ笑いながら薙いだ爪が切り飛ばされた。ひょっ、とバズズは息をのんだ。面白そうに、血の流れる片手を見る。
「痛い、痛い。久しぶりだなァ、この感覚。人間では初めてだぜェ」
 応える義理はない。ロランは返す手で剣を振り下ろす。バズズは身軽にかわすと、宙に舞いながらイオナズンを唱えた。魔法はスクルトでは軽減できない。攻撃が止んだ瞬間に、ランドがマホトーンを叫ぶ。だが、宙に描かれた魔封じの円陣はバズズの前でかき消された。
「効かぬわ、雑魚めがァ!」
 バズズは哄笑しながらランドへ跳びかかった。

「うわあっ!」

 組み付かれ、振りほどこうとランドがもがく。
「放せっ!」
「するか、あほう!」
 斬りかかったロランに、バズズは残った爪でランドの喉元をぐいと引き上げた。
「お前が斬れば、同時にこいつをやってやる。さあ、言ってみろよ。お前ら人間お得意の、“ぼくに構うな!”ってさァ……」
「……っ!」
 寸前で立ち止まり、ロランはランドの背中で笑うバズズをにらんだ。ランドはのけぞらされた顎をなんとか引いて、目でロランに訴える。できない、とロランは歯噛みして小さくかぶりを振る。察して、バズズが大笑した。
「はーははははァ! いいぜェ、もっと見せてくれェ! お前らの小芝居は傑作だよ。そうやって何の役にも立たない表向きの善意を見せて、自分は悪くない、精一杯やったんだって、あとから言い訳するんだよなァ。結局自分が大事、自分さえ良ければそれでいいってのがお前らだもんなァ」
「違うッ!」
 まともに相手をしてはいけないとわかっていても、ロランは叫んでいた。
「自分がどうなっても、大切なものを守ろうとする気持ちは……偽善とは違う」
「それだよ、それだよ!」
 バズズの1枚と半分になった翼がバタバタ笑う。
「“自分”はどうなっても、“自分の”大切なものは――ってさァ。結局自分大事じゃねェか。それで残されたものはどうなるよ。ローレシアの王子、貴様がよく知っているんじゃないかァ?」
「ああ。思い知った」
 バズズから目を離さず、ロランは剣を構えて言った。
「だから言える。――お前には絶対に、人間の気持ちはわからない」
「おいおい、本気か? こいつ死ぬぞ?」
 応えず、ロランはランドにしがみつくバズズへ走った。これ以上ないくらい速く――バズズが嬉々としてランドの首を掻き切ろうとした瞬間、ロランの剣がランドを戒める腕を切り落とす。激痛。バズズは絶叫し、ランドを蹴り飛ばしながら離れた。ランドは前のめりに転びながら、急いで間を空ける。
「おのれぇえええ!」
 バズズはざわりと全身の毛を逆立たせた。はっとしてランドがバズズを向く。ランドにはバズズが使おうとしている呪文がわかった――メガンテだ。バズズが息を吸いこむ。口が呪文の最初の言葉を放とうとした時、ルナの声が響いた。
ラリホー!!」
 まさか、とバズズは意識が途切れる寸前に思った。
 ――効いた、だと?!
 バズズの目から光が消えた瞬間、ロランの稲妻の剣がバズズの胸を貫き通した。
「ぐぎいいいっ!」
 衝撃と激痛に一瞬で覚醒し、バズズは自分を貫くロランの腕にがっちりと組み付いた。
「まだ諦めん、諦めんぞ、わしはァ――!」
 バズズの全身が黒い霊気に覆われる。再びメガンテを唱えようとした体が、横にずれた。
「なっ……」
 胴体と腰から分断され、宙を舞いながら、バズズロトの剣を横様に払ったランドを見ていた。
 二つになった紫の体は壁と壁の間から落ちた。3人はそれを振り返ったが、地面まで見届けようとはしなかった。
「……敗因は」
 ルナが言った。
「私達がひとりじゃなかったってことよ」
「うん」
 ランドがロトの剣を背中の鞘に収めた。ロランも、稲妻の剣を一振りする。まとわりついた悪魔の血が、さっと床に散った。
「悪霊の神々は、あと1体か」
 ロランは上階へ続く階段を見上げた。
 雪が強くなってきた。3人は先を急いだ。

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・193

 刃はアトラスの足の甲を割った。鮮血が噴き、ロランの顔と胸元に飛び散る。アトラスが吼え、傷つけられた足を振り上げた。
「くうっ!」
 剣を手放すわけにはいかない。柄を握ったロランは乱暴に振り回された。稲妻の形をした刃はアトラスの肉に食いこみ、どんなに振り回されても抜けない。
「グオオッ!!」
 さんざんロランごと振り回してから、アトラスは怒りに燃える目で足の甲に手を伸ばした。
「ロラン!」
 打ち振る足の風圧で近づけなかったランドが、ロランを助けに走る。ロランは迫ってきた巨大な手を見上げ、剣を諦めて逃れようとした。だが、鈍重に見えた手はあっさりとロランを捕まえる。
「ぐっ……」
 スクルトの呪文とロトの鎧がなければ、すぐにあばらを折られていただろう。だが、じわじわと力をこめてきた手の中で、ロランは息をするのもままならなかった。
「弱イ……小サイ」
 アトラスは単眼と口だけの顔で笑った。
「――イオナズン!」
 詠唱とともにアトラスの背中で爆発が起きた。強烈な爆風にアトラスは背を押されたが、にたりと背後を振り返って笑う。
「効いてない……」
 ルナの構えていたいかずちの杖がわずかに震えた。ランドが放ったベギラマも、アトラスの顔になんら傷を負わせていなかった。
「魔法ハ最強ノ手段デハナイ……」
 アトラスはランドとルナを見おろして言った。仮にも王、その声は猛々しさと威厳に満ちていた。
「力コソガ全テ……!」
 両腕を広げ、アトラスは咆哮した。広間全体が振動する。ロラン達は悲鳴を上げ、両手で耳を塞いだ。が、ロランはアトラスの手が緩んでいることに気づいた。気合をこめて右肘を指の関節に打ちつける。
「ガァッ!」
 慢心を衝かれたアトラスは手を開いた。落下したロランは回転して受け身を取り、床に着地する。アトラスの足に刺さった剣を抜きに走った。アトラスは怒り狂い、棍棒でロランをたたき潰そうとする。
マヌーサ!」
 とっさにルナが幻惑の呪文を唱えた。淡い紫の霧が立ちこめ、ロラン達の姿を幾重にも映す。しかしアトラスは動じなかった。大ぶりに棍棒や拳を振り回し、出現した幻もろとも3人を潰しにかかる。
「やああっ!」
 ランドがロトの剣でアトラスの背後から足元へ斬りかかった。浅い切り傷しかつけられないが、ロランから注意を逸らすには足りる。その間にロランは稲妻の剣が刺さった足へ接近していた。柄へ手を伸ばす。気配に気づいたアトラスが、身を屈めた。
ルカナン!」
 ルナが守備力を下げる呪文を唱えるのと、ロランが剣を取ったのが同時だった。アトラスの全身が暗い青の光に包まれる。ロランは肉に食いこんだ剣を引き抜いた。手応えは軽かった。呪文の効果で組織がもろくなっているのだ。
 再びロランをつかもうとしてきた手に斬りつけて飛びのいた。アトラスの指が2本落ち、絶叫が空間を揺るがす。
「ガアア!!」
 激怒したアトラスの全身が、さらに赤くなった。棍棒が空を薙ぎ払った途端、衝撃波で装飾用の柱が何本も崩れ落ちる。
「ロラン!」
 ルナが壁の一角を指さした。切り出された窓から、強い陽光が差し込んでいる。ロランはランドに目配せし、窓へ走った。
 アトラスが棍棒を振り回しながら追いかけてくる。次々と落ちてくる柱を避けながら、ランドがアトラスへロトの剣で斬りかかった。アトラスは嬉々として棍棒を振り下ろす。間一髪で避け、ランドは横へ飛びのいた。そこへ、ルナがいかずちの杖から電撃を放つ。むずがゆさにアトラスが振り向いたその顔に、一筋の光が射した。
 陽光に目を射られ、巨人はあぜんとする。白い光の中で見たものは、斜めに倒れた柱を足がかりにこちらへ飛んだロランの姿だった。
 ロランは無言で稲妻の剣をアトラスの単眼へ突き通した。ぶうんと目の中心で稲妻の剣がうなり、刀身のまとう太い電光が眼球に吸いこまれる。電撃は脳髄を焼き、背骨を貫通した。
「ゴオオオッ!!」
 アトラスはのけぞった。ロランは大きな口に吸いこまれないよう、身をひねってアトラスの白目を蹴り、剣を抜きつつ宙へ飛ぶ。
 アトラスは長く咆哮しながら、背が折れそうなほどのけぞった。爪先が浮き、そのまま倒れこむ。巨体が床をたたきつけ、3人はよろめいた。巨人はそれきり、動かなかった。
 荒い息を整えながら、ロラン達は徐々に消えていく巨体を見つめた。完全に消え去ってから、ランドが張りつめていた肩を下げる。
「終わったぁ……」
「ありがとう、ルナ」
 ロランはルナを見た。
「君は本当に頭がいいな」
「何よ、今さら」
 ルナは強気に笑った。
「私は示しただけよ。でもあなた達は、何も言わずにやってのけたんだから。――それってすごいんじゃない?」
「ははっ」
 ロランは軽く鼻の下をこすった。少し遅れて、ランドも笑う。が、笑いは続かなかった。しんと静まり返った広間にこもる血の臭気に、3人は真顔で向き合った。
「……見ていてくれたかな」
 ぽつりとランドが言った。ロランとルナは小さくうなずいた。そうであってほしかった。
 犠牲者の魂は、階下の鬼火として苦しみながらさまよっているのだろう。しかし、広間に塗り込められた血からたくさんの人々が立ち現れ、自分達を見つめているような気がしてならなかった。
 きっと彼らは叫んでいるだろう。
 絶対に、誰かが自分達のような目に遭わないようにと。
(絶対に)
 ロランは胸の中で繰り返した。
(約束する)
 そして、振り返らずに歩きだした。

自作ドラゴンクエストⅡ~悪霊の神々・192

【アトラス】

 教壇の奥には、上階へ通じると思われる巨大な部屋があった。しかし、教壇の真後ろから部屋の外周にかけて、強力な結界が青白い光を放っている。部屋の内部は堅牢な壁に囲まれていて、見ることはできない。
 ランドがトラマナの呪文をかけ、結界を通れるようにした。電光が走る光の壁に踏みこむと、すぐに扉を発見した。蛇のような頭の悪魔が彫り込まれた、無骨な扉である。
アバカム
 ルナが手をかざすと、扉はひとりでに奥へと開いた。
「うわっ、ここもか」
 金色の電光が波打って走る床を見て、ランドが一歩退く。
「ロラン、踏みこんじゃだめだよ。もう一度かけ直すから」
「このまま進めないのか?」
「うん。トラマナは、扉の向こうに出ると消えちゃうんだ」
 ランドが呪文を唱え、3人は部屋の外周を巡る細い通路に入った。右へ向かうと、部屋の中央部に豪華な扉があった。これもルナの呪文で開ける。
「うわ!」
 ロランは立ちすくんだ。飛び込んできた光に目を射られたのだ。
「動かないで。ここも強い結界に覆われてる」
 ランドがまた、トラマナをかけ直した。魔法の力で視界が開け、ようやくロランはあたりを見た。
 青白い光に包まれた広間には、何も見当たらなかった。床に十字形を模した妖しげな紋様が描かれており、その線だけは結界がないようである。
「何もないなんて……いいえ、これだけの結界を張っているのなら、何かあるはずだわ」
 ルナは注意深く紋様を見つめる。
「見たところ、魔法陣のようだけど……」
 ランドも歩き回って、白く抜かれた紋様を見定めている。
「――なんだ?!」
 腰のあたりに悪寒を感じ、ロランが目を向けると、肩から提げた革袋がどす黒いもやに包まれている。
 おぞましさに振りほどこうとした瞬間、革袋が腐敗して弾けた。ぬめぬめと緑色の鱗を光らせる妖像が、ごろりと床に転がる。
「魔法陣が反応してる!」
 ルナが叫んだ。十字形の魔法陣が、どす黒い赤に明滅していた。何かを待つように。
「ロラン……」
 ランドが頼むように目を向けた。言われなくても、ロランはそうするつもりだった。ランドが頼んだのは、自分の魔力が像に干渉されたくなかったからだが、ロランも、彼やルナに、こんなおぞましいものを触らせたくなかった。
 ロランはねじくれた角をつかんで持ち上げた。ぞわっと嫌な感覚が脳天へ走った。放り出したいのをこらえて、魔法陣の中心に歩み寄る。ランドとルナも続いた。
(お前……喜んでいるのか)
 像に意思を感じ、ロランは心の中で問いかけていた。邪神の像は、蛇に似た悪魔の頭部と髑髏、両方の目を赤く光らせている。像を持つ手からは、ざわざわと潮騒に似た波動が伝わっていた。不穏なさざ波は、ロランの手から胸にかけて広がり、何かを探っているようである。
 それが何か、ロランにはすぐにわかった。微笑する。
(無駄だったな。僕はもう、破滅に魅入られたりしない)
 従え。ロランは心で命じ、邪神の像を高く掲げた。果たして、像が従ったのか。それとも、あえて滅亡に誘い込むべく力を発揮したのか。
 おおおん。
 邪神の像が吼えた。ぬるりと、髑髏に巻きつく悪魔が動く。それは尻尾の先に髑髏の角を捕まえ、ロランの手から上へと飛び去った。次いで景色が歪み、軽いめまいと吐き気を催す。それもまばたきする間に消え、ロラン達は静まりかえる暗い回廊に立っていた。
「像が……消えた」
 空間移動した驚きより、そちらの方が大きかった。ロランは呆然と空っぽになった両手を見つめた。
「きっと、ハーゴンの所へ行ったのかもしれないね」
 ランドが言った。
「じゃあ、もうすぐ破壊神が降臨するってことかしら」
 ルナが眉を寄せる。
「なんだかいやね。みんな向こうの思い通りに運んでいる気がする」
「そうだな……。でも、行くしかないんだ」
 ロランは、空になった手を握りしめた。

 
 2階と3階では、悪魔神官達が魔物の群れを率いて襲いかかってきた。ハーゴンの後をついて邪教徒になった、最初の人間達である。しかし今さら教え諭したとて、彼らが元に戻ることはない。
 ロラン達は敵を相手にせず、回廊を走った。ここで無駄な戦いをしたくはない。
 4階まで駆け上がると、もう魔物は襲ってこなかった。とてつもなく大きな広間が3人を迎える。
 壁に沿ってかがり火が燃え、天井近くに細く窓が切ってある以外、光源はない。
「何、この臭い……」
 ルナが片手で鼻と口を覆う。錆びた鉄が大量に腐ったらこうなるのか。

「どうしよう、なんだか踏んじゃいけない気がする」
 ランドが足を下ろすのをためらった。床も壁も、べたべたした黒いもので塗り込められている。
「血だ」
 ロランは直感した。充満する臭いの正体は、床や壁に染みとなった血のせいだった。
「生け贄にしたのね、ここで……」
 いかずちの杖を両手で握りしめ、ルナが目をつぶる。ロランとランドも祈りの言葉が見つからなかった。
 ずん……。床が振動した。何事かと顔を見合わせ、ロラン達は身構える。
 ずん……。振動と鈍い音が、規則的に近づいてくる。
 薄闇の中に、赤銅色をした巨人が浮かび上がる。ロランとルナは、その気配を知っていた。
 悪霊の神々の一柱、巨人族の王――アトラスである。
 顔貌はギガンテスらと変わらないが、さらに大きい。王らしく、艶のある青い毛皮を肩衣(かたぎぬ)にまとっている。
「通サヌ……」
 洞穴から響くような声音だった。アトラスは燃える鉄色の瞳をロラン達に向ける。
「殺ス……」
 言うやいなや、右手に持った棍棒を3人へ打ち下ろした。ロラン達は方々へ飛びのく。棍棒が床を直撃し、部屋全体が揺らいだ。まるで虫を追うように、棍棒が横へ薙ぎ払われる。突風が巻き起こり、ロラン達はよろめいた。
スクルト!」
 ランドが守備力増強の呪文を唱えたが、どこまで信頼できるだろうか。
 だがやるしかない。ロランは巨人へ駆け出した。足元がざらついて走りにくい。幾千という犠牲者の血のせいだ。罪悪感に吐き気がこみあげたが、こらえて床を蹴る。
 アトラスは無造作に片脚を蹴り上げた。
「ぐあっ!」
 胸を中心に強い衝撃を受け、ロランは吹っ飛んだ。宙を舞い、床にたたきつけられる。瞬間、手足から意思が吹っ飛ぶ。立たなければと思っても、それを伝えるものが体内で分断されてしまっている。
(爪先が当たっただけで、これか……!)
 殴られた衝撃で聴こえなかったが、おそらく全身の骨が折れた。鼓動に合わせて痛みが断続的に襲ってくる。
「べホマ!」
 ルナが全快の魔法を使った。すぐに感覚が戻り、ロランは肘をついて起き上がる。そこへ、アトラスが棍棒を振りかざした。
ベギラマーッ!」
 ランドが走りながら両手を脇に構え、アトラスへ突き出す。放たれた閃光と炎が巨人の顔面を直撃し、動きが止まった。即座にロランは足元へ駆け、稲妻の剣をたたきつける。